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おとこどうし

Rainbowtrout いつもはおふざけばかりの父子なのですが,近頃は父親との話をいやがる中学生の三男ともこの時期にゆっくり語る必要を感じていました。
 話があると息子の部屋に入り込み,いぶかしがる息子に,この頃の彼の体の変化や,異性に対する感情の変化が起こっているだろうことを話し始めました。最初は私の話に少しおどろいていたようですが,息子なりに自分の体や心に起きている変化にとまどっていたようでした。2〜3の質問をしながらもしばらく耳を傾けていました。これらの変化は大切なことで,神様の恵みなのだけれど,多少やっかいな面もあって,エチケットや配慮が必要なことを伝えました。
 その後,ふっきれたような安堵が私にも息子にもありました。急に親子の関係が近づいたような気にもなって,息子から「お父さんプールへ行こう」と言うのです。それから近くの公営プールへ行き,彼は1.2kmほど,私はやっと600mmほど泳ぎました。もう彼には体力的についていけません。体がばらばらになりそうです。
 かつてはお兄ちゃんたちにも同じ話をしました。父親だから息子に話せること,一つ肩の荷を降ろせたようでホッとした一日でした。

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物にあふれていて

Dscf1475機会があって中国上海の近くの方たち,それから現地で働いている日本人数人の様子を見ることがありました。
 私たち多くの日本人は,車,パソコン,家電,住宅,携帯電話,ゲーム機,何でも持っています。中国の方たちは私たちとは状況が違うのかもしれないです。
 もしかしたら彼らはあれこれ欲しいものがたくさんあるのかもしれない。そのためなのか,生き生きとしていて夢と希望にあふれていました。私は何か大事なものをどこかに落として来たかもしれない。そんな気持ちにさせられました。これは自分だけの問題かなぁ? 
 そうそう春の風が吹く中,新入社員の若者達がまぶしく見えた今日この頃。(写真は,水族館の大水槽です)

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私の目をおあけになった

842 『彼は答えて言った。「これは,驚きました。あなたがたは,あの方がどこから来られたのか,ご存じないと言う。しかし,あの方は私の目をおあけになったのです。」』(ヨハネ9:30 )

 キリストを信じてまだ間もないころ,ある若い教職者の女性が私に「まさかあなたは奇跡が実際に起こるなんて信じているんじゃないでしょうね?」と聞くのです。私もその質問に驚いて言葉を失ってしまいました。イエスが盲人の目を癒(いや)されたり,病気を治したりという記事を受け入れないなら,どうして十字架の救い/あがないだとか,復活の意味を理解するのでしょう。
 家族が,友人が,そして自分自身が病気のとき,誰かが祈ってその結果として病気が治り癒される。それをどう受け取るかはその人の自由です。お医者さまが良かった,薬が効いた,運が良かった,等々,言い訳はいくらでもあります。それら一つ一つは本当にそうなのでしょう。お医者さまにも,薬を作ってくださった方にも心から感謝します。もちろんそういった事に心を向けるはよしです。
 一方で,祈ってその応答として神様に癒されたと信じることは人を謙遜にさせ,また希望を与えてくれます。母は1/3の確率で大病から生還し,私も16年ほど前には厳しい状況から全く健康になりました。その背後には家族や教会の方々の祈りがありました。
 繰り返し祈ってもかなえられないことだっていくらかありました。もっと時間が必要なのか,神様が別のご計画を持っておられるのかどちらかでしょう。祈りを積むと,祈り願うこと自身も整えられ何を求めるべきか分かってきます。神様との会話,交わりにはそういう一面があります。事実,自分勝手で我がままな祈りは,そうは続きません。

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続あしながおじさん

Dscf0814_1  皆さんにご心配をおかけしましたが,体調をくずして近くの病院に5日間入院していました。一過性の病気ですしもう症状はなく,昨日から仕事に復帰しました。他人にうつることもありませんのでご心配なく。まだしばらく大事をとって無理をしない生活をするつもりです。まったく普通でも大丈夫そうですけど。
 予告通り入院中「続あしながおじさん」(Jean Webster著,Dear Enemy)を読みました。前編の主人公ジュディ・アボットの親友,サリー・マクブライドが孤児院の院長として奮闘する物語です。
 手紙形式でお話が展開するのは前編と同じ。してみると手紙の宛先のDear Enemy(敵様)と主人公のサリーが結婚するのが結末かと思いながら読み進めると結局その通りになりました。その途中の展開が面白かったし,孤児院(今はそう呼ばないそうですが)や精神的に病んでいる人のいろいろな問題を提起していて,思うことが沢山ありました。なかなかの名作です。子どもの本とも言い切れない。
 いつか自分が孤児を預かって育てられるのだろうか,それはどういう状況下でのことだろうとかいう具合に考えさせられる面もありました。

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完了した

P1000058 『イエスは,酸いぶどう酒を受けられると,「完了した。」と言われた。そして,頭をたれて,霊をお渡しになった。』(ヨハネ19:30)

 学生のころ口語訳聖書(1955年日本聖書協会)でヨハネの福音書を読んでいて,イエス様が十字架にかかって死なれる直前に語った「すべてが終わった」という言葉にすごく失望感を持ちました。イエス様の救いが完成しなかったように感じられたからです。
 その後,新改訳聖書(1970年日本聖書刊行会)が,同じ箇所を「完了した」と翻訳していることを知って,話がうますぎるぞと,ちょっとその訳を疑ったことがありました。さらに学ぶうちに,「目的」(ギリシャ語でテロス)が「成し遂げられた」(テテレスタイ)というのが原語だと知って,すごくホッとしたことを覚えています。今になって手持ちの聖書を調べてみれば,新協同訳,フェデリコバルバロ訳,King James Versionなどいずれも完了したの意味で翻訳してあるんですけど。
 同じ聖書の箇所を引用し,まことしやかに「イエスの救いは失敗した」と今でもご説明なさる方がおられるようですが,新約聖書はイエス様は十字架の上で救いのすべてを完了したと宣言なさっているんですね。ここに聖書の言葉の強さを感じています。
 復活祭の今日,もう一度そんなことを思い起こしていました。

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あしながおじさん

 本のタイトルも話の概要も知ってはいたけれど,とても読む気にはなれなかったJean Webster の Daddy Long Legs(あしながおじさん)にはまった数日でした。
 たいていは解析学,プログラミング,量子力学,せいぜい歴史,考古学なんかが好きなので,この手の本は自分のジャンルではないのです。
 それなのに不思議とこういった本ですら,私の書棚にはぼろぼろになってあるんです。Michael Endeの小説に出てくるコリアンダーの書店のように。
 次は「続あしながおじさん」なのかな。

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