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私の目をおあけになった

842 『彼は答えて言った。「これは,驚きました。あなたがたは,あの方がどこから来られたのか,ご存じないと言う。しかし,あの方は私の目をおあけになったのです。」』(ヨハネ9:30 )

 キリストを信じてまだ間もないころ,ある若い教職者の女性が私に「まさかあなたは奇跡が実際に起こるなんて信じているんじゃないでしょうね?」と聞くのです。私もその質問に驚いて言葉を失ってしまいました。イエスが盲人の目を癒(いや)されたり,病気を治したりという記事を受け入れないなら,どうして十字架の救い/あがないだとか,復活の意味を理解するのでしょう。
 家族が,友人が,そして自分自身が病気のとき,誰かが祈ってその結果として病気が治り癒される。それをどう受け取るかはその人の自由です。お医者さまが良かった,薬が効いた,運が良かった,等々,言い訳はいくらでもあります。それら一つ一つは本当にそうなのでしょう。お医者さまにも,薬を作ってくださった方にも心から感謝します。もちろんそういった事に心を向けるはよしです。
 一方で,祈ってその応答として神様に癒されたと信じることは人を謙遜にさせ,また希望を与えてくれます。母は1/3の確率で大病から生還し,私も16年ほど前には厳しい状況から全く健康になりました。その背後には家族や教会の方々の祈りがありました。
 繰り返し祈ってもかなえられないことだっていくらかありました。もっと時間が必要なのか,神様が別のご計画を持っておられるのかどちらかでしょう。祈りを積むと,祈り願うこと自身も整えられ何を求めるべきか分かってきます。神様との会話,交わりにはそういう一面があります。事実,自分勝手で我がままな祈りは,そうは続きません。

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