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サン・カリストのカタコンベ

P1030106 サン・カリストのカタコンベ入り口の写真です。ここから中は撮影禁止だったので残念ながらこれ以上の写真をアップすることはできません。カタコンベそのものはテレビでも紹介されて来ましたし,教会の礼拝のメッセージでも聞く事がありました。漠然と,初代キリスト教徒が墓として用いまた迫害の中で礼拝を捧げた場所といった知識だけを持っていました。
 当日,係の方(フィリピン人の修道士)が英語で,この歴史や石の壁に残っている様々な模様の意味,教皇の遺骸がローマ市内の聖堂に移された経緯などを説明して下さいました。総延長で20kmもの地下墓地があってその一部だけがこうして公開されているとのこと。地下4階層からなっていて,通路の横に穴を掘り遺体を埋葬していたそうです。ここには幾人かの教皇,殉教者,そしておびただしい数のキリスト教徒が埋葬されました。
 初代教会の時代,キリスト教徒たちは多神教のローマの文化を避け,この地に墓地を購入して家族や初代教会の指導者達の墓地としました。そして日本人がお墓参りをするようにこの地で故人を悼み,また先に天国に召された人々を想って祈りをささげて来たのでしょうか。やがて迫害の時代には,この地下に祈りの場所を作り,ミサを捧げたのだそうです。
 プロテスタント教会に属している私達にとって,墓参りのような形で,まして故人と語るような信仰は,聖書的ではないような印象を持ちます。けれども,少なくとも初代教会,まだ聖書が成立していなかった時代に,人々がこうして祈りの場所をこの地に求めたことを大切にしたいと感じました。

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アッピア街道

P1030094 アッピア街道と聞いて,小説「クォ・ワディス」を思い出す方もおられるでしょう。迫害のローマを逃れて南へ下るペテロにイエス様が現れたとき「クォ・ワディス・ドミネ(主よどこへ行かれるのですか)」と主に尋ねるペテロの台詞が心に熱く迫ります。その舞台はこのアッピア街道。ドミネ・クォバデス教会が近くにありました。カリストのカタコンベを訪ねたときの記念に撮影しました。

「キリスト! キリスト!」彼はだれかの足に接吻するように頭を地につけた。長い沈黙がつづいた。やがてむせび泣きに途切れる老人の言葉が静寂を破ってひびいた。「クロ・ワディス・ドミネ?」その応えはナザリウスにはきこえなかったが,ペテロの耳は悲哀を帯びた甘美な声がこう言ったのをきいた。 「おまえがわたしの民を捨てるなら,わたしはローマへ行ってもう一度十字架にかかろう」(クオ・ワディス・ドミネ:シェンキェーヴィチ作,木村彰一訳より)

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パンテオン

P1020851 ローマ帝国の主たる信仰のベースがもともと多神教的であることは知っていました。パンテオン神殿と呼ぶからにはキリスト教徒から見てよほど異教的な雰囲気なのだろうと想像していました。
 ところが,中に入ってみるとそこはキリスト教の教会というか聖堂というか。全く予想とは違いました。それでも他のイタリアのカトリック教会とは異なる様相で,ローマ帝国を勝ち取ったキリスト教の構図を思わせます。

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コロッセオ(ローマ)

P1020878_2  闘技場として有名なコロッセオ。映画や小説にも出て来る血なまぐさい過去については知らない訳でもありませんでした。剣闘士が命をかけて戦ったというより,ほとんどの剣闘士が戦って命を落としたということが理解できなくて葛藤がありました。

P1020903  ところでコロッセオには十字架が立っていることを多くの人々はご存知なのでしょうか。私は全く知りませんでした。本来,多神教の神殿であるパンテオン神殿が教会になっているのを見て,ローマ人は何でも教会にしてしまうのかと考えいたら,そうではなく,多くのキリスト教徒が殉教したことに対する聖別と記念だと伺いました。 なるほど。確かに神殿とはだいぶ違う。

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Firenze

P1020502  1991年に初めての海外出張としてエンジニアリングの国際会議に参加するためにこの地Firenzeを訪れました。Firenzeに到着した翌日,少しだけ時間がとれたので通称ドゥオモ(Duomo)と呼ばれるサンタマリア大聖堂(Santa Maria del Fiore)の最上部まで登りました。そこであやしい人に関西弁なまりの声で「日本人の方ですか?」と話しかけられました。同じ会議に出席されていた大阪の大学のKさん。
 この国際会議には,Kさん以外にも,Fさん,関東の大学のNさん,企業から来られていたIさんなどかなり個性の強い同世代の日本人の幾人かが参加していました。その後,これらの方々とは細々とながら交際を続けています。どの人も学位(博士号)を取るための活動の一部という目的があったようで,互いに切磋琢磨? いや意地を張り合いながらやがてそれを達成したんです。熱い,篤い,厚い,暑い人たちばかり。今ではKさんは大阪の工科系大学の教授,Nさんは東北地方の大学の助教授,Iさんは大企業の幹部,Fさんも関西の大学の准教授になってます。当時は,駆け出しのエンジニアだとか,助手だとかだったんですけどね。
 それはともかく,当時次男を出産したばかりだった家内にも,この美しい町を見せてあげたいとずっと思っていて,それが叶うのに18年もかかってしまった。
 写真は,Duomoの天井のフレスコ画。本当にデカイ。

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イタリア

P1020670  昨年10月に単身で転勤になってある意味で激動の6ヶ月を過ごしました。体力的にも精神的にもきびしい時期ではありました。折しも会社からは報奨休暇を2週間いただけることになり,家内には無理矢理休みを取ってもらってイタリア旅行をすることにしました。
 Bologna, Frenze, Romaの3都市へ。Frenzeは18年ぶりで家内を連れて行くと約束したことを守るつもりで,Romaは初めてですが自分の信仰を見つめ直す良い機会として,Blognaは航空機の経由地だったのですがアーケードを見て歩き,スパゲティーのボロネーゼを食するために。

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